吉本隆明「ひきこもれ」考 2
 
第3章「子どものいじめ,そして死について」
 
@いじめる側の子も,いじめられる子も,どちらも問題児であり心が傷ついているといえる。だから,いじめたり,いじめられたりするということだ。
 子どもの心の傷は,実は親の心の傷を,無意識に自分の傷にしてしまうところから来る。特に胎児期や乳児期の心の形成時期には,親が世界のすべてであり,子どもはそれを刷り取ってしまう。その時期に母親が不幸だったり精神が不安定だったりすると,それが子どもには心の傷として刷り込まれるということだ。
 もちろんだからといって,その子どもたちが後年必ずいじめっ子になったり,いじめられっ子になったりするわけではないが,背景として,それは考えておかなければならないことだ。
 いじめっ子はいじめられっ子同様に,無意識の中に苦しみがたくさんある。大人が出てきて仲裁したら,だいたいはいじめっ子のほうが悪いことにされて,より深く傷つけるだけに終わることが多い。理想的にはいじめられっ子が立ち上がって,いじめっ子に向かっていくことが出来れば,そういう方がいい。その方が,いじめっ子のほうにも本当の反省がやってくる。
 子ども自身が,これでは駄目だと気づき,当事者間で解決していくのが一番いい。傷ついた者同士に起こることは,片方を叱って止めさせればいいというものではない。
 
 大人が仲裁した場合,いじめっ子もいじめられっ子も,実は心の傷が癒されることはなく,後年に持ち越されるということだと思う。いじめられっ子は,自分から立ち上がるという力を持てないままだし,いじめっ子はくすぶる不満に,ますます心の傷を深くしていくのかもしれない。本来は,良いこと悪いことに関わりなく,ある出来事の経験を通して身につけていくことで成り立つ成長が,第三者の介入によって阻害される。経験から,自力で,何らかのものを吸い上げるといった力そのものが,育たなくなるような気がする。子どもたちが世話を焼かれすぎることは,ときに,大きなお節介になるといわなければならない。     一時,いじめが大きな問題になり,先生たちも敏感になっていた時期がある。いじめはよくないことを,盛んに子どもたちに向かって説いていたものだった。だからといって,いじめがすっかりなくなったわけではない。いじめは昔からあり,これからも当分はあり続けるものだろう。ただ,いじめ行動が,陰湿に,そして過激になった背景に何があるのか,考えておかなければならない問題だ。答は簡単に出てくるように思う。子どもの世界に,大人や先生たちの介入,干渉が多くなってきて,それとともに,そうした大人の視線を逃れるように,いじめもまたその空間領域をスライドさせていったのだ。その結果,それまで考えられていた常識的ないじめの様態ではないいじめへと変化したと言っていい。
 子どもたちに,加減というものが分からなくなってきた,という変化が生じたのも,この介入と無関係ではない。子どもは弱い,弱いものは保護するべきだ。こうした発想で大人たちは子どもの世界に介入し,危ないものをすべて取り除いてきた。小刀,取っ組み合い,そのほか怪我をさせない,傷つくことがないようにと,危ないものはすべて環境から取り除くようにしてきた。当然危険を察知したり,危険から身を守る能力も,知恵も,同時に取り払われてしまったに違いない。
 私は元に戻せというつもりはない。それをすればもっと大きな混乱をもたらすだけだ。
 もっとも肝心な問題は,私たちが,「死」を解決していないという状況にある。私は,そう,感じている。死んではならない。傷ついてはならない。不健康であってはならない。無意識を含んだ意識が,そうした死や傷,不健康を,敵視し,嫌悪し,また何らかの形でコントロールしなければならないし,できるものと考えている状況が,一番の問題なのだと思う。死をあたりまえのものだとする認識から,どこまでも遠ざかろうとしているといっても良い。見たくないもの,消してしまいたいもの,そして目を背けたいものという意識が強すぎると言ってもいい。それは誰もそう思わないかもしれないが,ほとんど病的だと言っていい。だが,こういう指摘,見解は,そこここに起こり始めているに違いない。共同のものとなるために,なお長く時間を必要とはするだろうが,悲観も絶望も,まだまだ結論を出すのは早すぎると考えるべきだ。
 
 
A子どもの自殺は,親の身代わりというのが一番真実に近い考え方だ。云わば,親の代理死だ。子どもが単独で,死を選ぶほどの精神的な体験をするとは思わない。それほどの体験を引き受けるだけの,精神的な成熟がないと言ってもいい。
 周囲の大人の,親の,無意識としての死の願望,死への傾斜を,また子どもが無意識に感じとって影響を受ける。そうした転移として理解すると分かりやすい。
 ひどいいじめを受けても,死なない子は死なない。自殺する子は,身近な大人の,そうした無意識の気持ちを感じとり,それを真似て,そして現実化してしまうのではないだろうか。
 
 こうした吉本の考察は,いじめによる自殺死を食い止めることのむずかしさを語っている。いじめの仲裁によって,いじめっ子が心の傷をさらに深くすると,中学,高校といじめを繰り返すことにつながり,さらにそのいじめぶりはエスカレートするに違いない。いじめっ子の心の傷を深くしないために,かといって放っておいたり,知らぬ顔をするだけならば,いま現にいじめられている子の,いじめによる自殺者の数は減らないかもしれない。
 大人が仲裁に入っても入らなくても,実は,事態は好転することはないと考えるべきだ。結局,吉本の考察からは,世の中一般に考えられる対策や対処が浮かび上がってくることがない。もっと言えば,もともと具体的な対策や対処法を考えての書ではないということだ。具体的な対策や対処は,それぞれに関係者が知恵を絞り出してなすこと以外にはない。そのことに口を挟んで,何の意味があるか,そう考えているに違いない。自分が言えることは,本質を述べることだ。唯一それが人間の過誤からの救済になりうるからだ。そう,吉本なら言うだろうと思う。それが,思想家としての倫理なのだと。
 もちろん,親たちは思想家としての倫理にも,事象の本質がどうであるかについてもかまってはいられない。ただただ子どもの無事を祈る,それでしかないだろう。
 吉本は作家太宰治や三島由紀夫を,大人になっても親の代理死として自殺した例と見なしている。まともな育てられ方をしていないことによる,心の傷が幼児期に形成されていた。親がまともな育て方が出来なかった背景には,言葉に出来ないわけがあり,悲しみがあるのだろう。
 受け継がれた不幸を背負いながら,誰もが我慢に我慢を重ねながら生きている。そう,人生を,見て取ることも出来る。
 三島の生き方や自殺を考察した後,吉本は,「世界的な作家といわれ,社会的な地位や発言力を持つことよりも,自分が接する家族と文句なしに円満に,気持ちよく生きられたら,その方がはるかにいいことなのではないか。そんなふうにぼくは思うのです。」と言っている。
 子どもに,代理死を迎えさせないように,親は自らを反省すべきだと,そういうことであるのだと思う。
 
 
第4章「ぼくはひきこもりだった」
 
@現代において自立や結婚が遅くなる理由は,食べることに困るということが少なくなった社会になったからというのが,一つの大きな要素である。
 引きこもっていても食わせてもらえる社会の水準,家族の水準になったというとことである。それでも,どういった形にせよ,意志的に働きに出て行く転換点は来るはずだ。アルバイト,一時的な賃仕事でもいいが,出来れば早く自分にあった継続出来る仕事を見つけた方がいい。どんな仕事も経験の蓄積,持続が必要だからだ。
 ボランティアをやって世の中と関わらせるというのは,間違っている。お金をもらって働くことが大事である。それが基本だと言っていい。
 アルバイトのような形で,本当に満足して一生やっていけるかというと,そういう人はあまり多くないはずだ。アルバイトでは,他人に満足をもたらす仕事,本人にも何かを身につけたという実感をもたらす仕事にはなりにくいからだ。自他に満足をもたらす仕事,それはやはり継続する職業の中にしか存在しない。
 どんな仕事でも,10年持続出来れば何とかものになる。やりたいことが見つかったら,とにかく10年,「手を動かす」,「手で考える」ことをすることである。そうすれば,だいたいは何とかものになるはずだ。
 物書きの世界でいえば,毎日毎日,5分でも10分でも,書いても書けなくてもとにかく原稿用紙の前に座る。一日も休まずにそれを10年やれば,その人は100パーセント物書きとしてやっていけるようになる。そういった意味でとにかく持続することだ。
 必死で頑張らなくてもいいし,もちろん頭のいい人と競り合わなくていい。引きこもっていてもいいし,アルバイトをしながらでもいいから,気がついたときから興味のあることに関して「手を動かす」ということをやっておく。熟練に向けた何かのはじまり,そういうところにこぎつけられたらこっちのものだと思っていい。
 ひきこもっていてもマイナスにならないような職業や専門,分野というのはきっと見つかるものだ。
 生涯に一度の登校。それが学校ではにとしても,何らかの場所にやがて踏み出していく。それは自分自身の人生に関わっていく日でもあるのだと思う。
 
 不登校やひきこもりに長く関心を持ってきたものにとって,この書のこうした指摘が,世の常識的な見解といかに異なるものであるかは,容易に理解出来るのではないかと思う。それは,対象を共感的に見ているかどうかの違いによるのではないかと私は考えている。少なくともマスメディアに登場し,見解を披瀝する識者たちには,情報収集の力と分析の能力は感じても,対象への共感が感じられない。要するに人ごととしてしか論じていない,そう印象されるのである。たとえいくばくかの共感を感じられるにしても,不登校に対する見解に見られるように,「学校に行く」ことが疑いのない前提として,その方向に向けたさまざまの改善策を言ってみているに過ぎない。不登校があってはならない,ひきこもりがあってはならない。基本的に,そういう論調である。
 吉本は,不登校やひきこもりはあってあたりまえ,そしてその主とする理由は当事者の感性の鋭敏さに起因することを指摘している。彼らの感性に触れた学校や社会にある「偽の厳粛さ」,そこに目をとめない小手先の改善や対策は,一切無効であることもまた熟知している。
 学校や社会の仕組みには,プラスの面ばかりではなくマイナスの面もあるということ。少数ではあるが,そのマイナスの面を受け取ってしまうものがあり,それが不登校やひきこもりに反映するのだ。それは現在,状況として,致し方ないことである。ただ,これが社会的にも問題となるのは,大げさに問題視されることにある。そうではない。親も周囲も共感的に理解し,あわてず騒がず,いつか自ら一歩を踏み出す,その準備や環境作りにゆったりと落ち着いて対処すればいいのである。
 ポイントは興味のあることに「手を動かす」ことであり,本人が持続出来る対象を見つけることである。そしてその持続を,妨げないように見守ることである。「手を動かす」ことの持続から来る,さらに高度な熟練に向けての欲求は,自らを動かす原動力になる。それが向かう先を求めて動き出すことに繋がる。
 たまたま事件に結びつくことがあるのは,周囲の無理解と,本人からすればめちゃくちゃな対応や対策が強要されるところに端を発するからに違いない。
 吉本のこうした見解を,私は良質なものと認めている。だが,すべての親や周囲が,こういう対応を出来るかどうかは疑問に思う。自分自身を変えるほどの,想像以上の困難をともなうような気がするからだ。
 不登校において,はじめに親が子どもを信じ,ゆったりと構えながら,数ヶ月後,あるいは一年後には,どうしようもない焦りに見舞われるケースはしばしば見聞きしたことがある。その時,吉本のこの見解が目にとまるならば,それは再び一筋の光明に向かって歩き出すきっかけとなるのではないか。私は,そう思う。
 
 
A自分が物を書き始めたのは,ひきこもり性だったからだ。読んでくれる人がいなくても,自分の表現したいことが文章になり,自分の言いたいことが何であったかが自分でわかれば安心出来た。
 ある時期から,多くの人にもわかってもらえるような書き方をするようになったが,いまでも,自分にしか通用しないかもしれないことを大事にして,考えたり書いたりしている部分もある。じぶんが「ひきこもりは正しいんだよ」と言う時に,自分の実感としては,少なくとも嘘はついていない。
 自分の見つけた孤独の処方箋は,「銭湯」と「神社のお祭り」だ。見ず知らずの人たちの中で,自分もみんなと同じことをしているという実感を持てて,でも一人でいることが出来る。そこに,安心感があった。
 いまひきこもっている人たちも,自分なりの外界とのつながり方を持っていれば,そんなことですむのではないかと思う。そういかないとしたら,親子関係や学校や社会,あるいは住宅事情,周囲の環境,また社会の豊かさの反動として,さまざまに規制が働いて,追いつめられてしまうということがあるからかも知れない。
 
 
 考えてみると,ぼくも十分にひきこもり的な過去を持っている。幼稚園を中途で退園し,小学校も1年生の時には相当に行くことを渋っていた記憶がある。休み時間に友だちと遊ぶことは,いま思う以上に楽しかったのではないかという気がする。それこそ,高学年の担任が言っていたことだが,尻を逆さにしながら(方言のままに言えば,「ケツをキャッチャにしながら」),遊んでいた。喧嘩をした記憶も多い。そういう意味で,人と意見や考えが違っていることも多かった気がする。中学,高校と,何とか折り合いをつけてはいたが,内心浮かない気持ちで登校する,そういう人間になっていた。心の孤独というのは,おそらく誰もが感じることには違いないが,それに魅入られたように何をしても,それを「思ってしまう」ことが,ひきこもり的であることの条件の一つであろう。わび,さび,むなしさ,等の気持ちに繋がってしまう。
 ずる休みをしたり,どうしようもなくなって家出の真似事のようなこともした。しだいに折り合いをつけることが難しくなったのであろう。どうにかして,逃げ出したいと思った。
 高校を卒業する頃には,何でもない人として何でもない人たちに紛れるように生きたいと思い,就職したいと考えた。世間知らずということはあったろうが,そういうように考えていたことを思えば,人の言葉,その中で特に,人の言動を規制する「偽の倫理的,道徳的言葉」が嫌いでならなかったのではなかっただろうか。そういう言葉を口にしない人たちの間で,ひっそりと暮らしていくことに,安心感が持てるような気がしていた。
 結果として大学に行き,かなりのひきこもり生活を経験することになった。アパートにこもって,数日,銭湯やちょっとした食料の買い出しに近くの商店に出かける以外は,外に出ることがなかった。一日に,「これください」のことばをひとつ言うのがやっとという状態だった。
 足を引きずるように,また歩きながら故意の演技のように涙しながら,大学の講義に向かうこともあった。いま思えば,相当に病的だったかもしれない。いや,半分,精神的な病気になりたいとすら願っていた。自分の中では,冷静すぎるほど冷静で,病的な素振りを示していることもわかっていて,それすらも嫌でならなかった。
 自分は,どんなに苦しくても,病気にはなれないのだなと思った。精神も,肉体も,「自分の手を離れて存在する」と思った。そのあたりから,意識における「自分」とは別の「自分」の存在を大きく感じるようになった。その存在は,意識とは別に,それとは直接的な関わりはなく,この世にただ生きてあろうとする生命現象なのであった。要するに,この「自分」というものもまた内臓系に象徴出来るような,それ自体が自律的に動く何物かであると感じた。
 苦しかろうが辛かろうが,心臓はたゆみなく動き続けている。そのように,悲しかろうが孤独であろうが,意識が辛かろうが,「自分」というものは「自分」を止めようとはしないものなのだ。
 その生命そのものとしか言えない動きは,意識によって裁断してはならない。つまりは意識を越えた存在であり,そういう「自分」を含めての「私」なのだという自覚が,その頃に私の中に芽生えた。
 私の意識は,私からも孤独だった。この孤独は,誰にとってもそうであるに違いないと思った。そしてそれは,人々と「共通し,共有する」孤独なのであった。言ってみれば,私は一人という寂しさの中でも寂しくなくなった。そして自分なりに愛や平等の観念を持てるようになった。
 誰もが「自分」からは孤独だという面を持っているという思いは,他人を見る目はもちろん,社会や世界を見る目をも変えるものだった。「善」も「悪」も,こちら側にある「自分」の現れである。それは,孤独な現れである。だが,もう一つの「自分」としての存在は,もともと善悪には関わりがない,およそ人間的な概念規定には収まらない種類のものだといってよい。だから,昔の人は,心で感じたものなのであろう。「善悪なんて知らない」。確かに,もう一つの「自分」に降りたって考えた時に,そう見えてくる地平がある。